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お釈迦さまの生涯と教え(かさぎ第4号より)

はじめに

中小企業診断士という仕事がら会社の経営者や経営者の奥さん、後継者、社員の人、専門家や大学生、創業を志す人など老若男女のいろんな人とお会いする機会に恵まれております。本当にありがたいことです。お話するうちに仏教の話題になることもありますが、「仏教って知られてないなあ」とよく感じます。
「お釈迦さまって本当にいたんですか」と聞かれることもありますし、仏教は葬儀などの儀式や祈祷を行うものであると思っている人が多いのが実情です。仏教はインドから中国を経て日本に伝わってきました。本来のお釈迦さまが説かれた仏教は「人生どう生きるべきか」という生き方を説くものだったのですが、中国で儒教の影響を受けて先祖崇拝や葬儀に係るようになったようです。
また日本では江戸時代に幕府の国民統治政策の一環として檀家制度と葬儀が結びつき、現在では仏教=葬儀や法要などの儀式となっているようです。

しかし社会人相手のセミナーや大学の講義などで、「お釈迦さまはこういうことを言ってるんですよ」などと話をすると皆さんとても熱心に聞いてもらえます。これはこういう話を聞く機会が皆さんあまりないからだと思います。
日本において仏教が葬儀や先祖崇拝と係わっていることはむしろ良いことであると思っていますが、お釈迦さまの説かれた本来の教えが日本で広まっていないことはとても残念なことだと言わざるを得ません。
そこで今回はお釈迦さまの生涯とその教えについて、お釈迦さまのお言葉などをご紹介しつつ述べさせていただきたいと思います。
内容につきましては出来るかぎりお釈迦さまの実像及び実際の教えに近いものとするため、「パーリ語三蔵」と言われている原始仏教の経典から引用することとしました。

仏教にはキリスト教の「聖書」やイスラム経の「コーラン」などのように絶対的な経典はありません。またお釈迦さまが直接書かれた経典も存在しません。当時インドでは書き記すという習慣はまだなかったそうです。したがってこれはお釈迦さまが間違いなく言われた言葉、あるいは書かれたものだというものは残念ながら存在しません。
しかしこの「パーリ語三蔵」は現存する仏教経典の中では最も古く、最初期の仏教を知る手がかりを与えてくれるものであり、お釈迦さまの言葉に近いものだと言われています。部派仏教(南方仏教または小乗仏教)の経典であり、インドからスリランカ、ミャンマー、タイなどに伝わりました。
日本へはインドから中国を通って大乗仏教が伝わってまいりました。この「パーリ語三蔵」の殆どの経典は明治以降になって日本へ入ってきております。
したがって最澄や空海、道元、親鸞、日蓮、栄西など日本の各宗派のご開祖様は、これらの経典に目を通していないことになります。実に不思議な気がします。

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一.お釈迦さまの生涯について

お釈迦さまの誕生
お釈迦さまはヒマラヤのルンビニーというところで誕生しました。いつ頃かということは様々な説があり未決でありますが、紀元前400~500年頃のようです。ルンビニーというのはインドではなくネパールにあります。だからお釈迦さまはネパールで生まれたということになります。インドとの国境には4キロという場所です。
お釈迦さまは、ヒマラヤのネパール南部に住んでいたシャカ族の中心地であるカピラ城の国王スッドーダナの長男として生まれました。釈迦とは部族の名前であり、正式な名前は「ゴータマ・シッダールタ」です。したがって本来の呼び方は「ゴータマ・ブッダ」(ブッダとは悟りをひらいた人という意味)とか釈尊というのですが、今回は一般的に親しまれている「お釈迦さま」という呼び方を使いたいと思います。

ルンビニー お釈迦さまが産湯を使ったとされている池

また本来はお釈迦さまに対する表現は敬語を使って書くべきでありますが、読みやすくするという目的で敬語を使わずに書かせていただきたいと思います。
シャカ族はバラモン教やバラモンの権威を無視する民族であり、また逆にバラモンはシャカ族を軽蔑していたといわれています。バラモン教は、人は血(生まれ)により決まるとし、カースト制度を築きました。これに対して平等を説き、精進(努力)を重視する仏教をお釈迦さまが説かれたのもこういう背景があるのかもしれません。
お釈迦さまの母親マーヤー夫人が出産のために実家へ帰る途中、カピラ城から二五キロほど離れたルンビニーで産気づいてお釈迦さまは生まれたそうです。
お釈迦さまが生まれた時にアシタという仙人が将来を予言したことが、最も古いとされるパーリ語経典「スッタニパータ」のなかにあります。

この王子は最高の悟りに達するでしょう。この人は最上の清浄を見、多くの人々のためをはかり、あわれむが故に、法輪をまわすでしょう。この方の清らかな行いはひろく広まるでしょう。
(スッタニパータ 693)

この王子は最高にして最上の悟りを得て多くの悩める人々のために真理を説くでしょう。そしてその教えはひろく広まるでしょう。
という意味でありますが、仏教はまさに世界中に広まったわけであります。
お釈迦さまの幼少時代については、経典にはほとんど述べられていないようですが、誕生から7日目に母親のマーヤーは亡くなってしまいました。マーヤーの妹のマハー・パジャパティーがスッドーダナ国王の後妻となりお釈迦さまの養母となりましたが、お釈迦さまは実の母親の顔を知らないで育ったということであり、寂しい思いをしたことが想像されます。
しかし物質的・経済的には大変に恵まれた何一つ不足のない生活であったようです。自らの若き日を回想して次のようにお釈迦さまが述べたものがあります。

恵まれた若き日の生活

わたしが邸内を散歩するときは寒さ・暑さ、塵、露がわたくしに触れることのないように、夜昼とも白い傘蓋がたもたれていた。わたくしには三つの宮殿があった。一つは冬のため、一つは夏のため、一つは雨季のためのものであった。それでわたくしは雨季の四か月は雨季に適した宮殿において女だけの伎楽にとりかこまれていて、決して宮殿から下りたことはなかった。
他の人々の邸では、奴僕・傭人・使用人には屑米の飯に酸っぱい粥をそえて与えたが、わたくしの父の邸では奴僕・傭人・使用人には白米と肉の飯が与えられた。
(アングッタラ・ニカーヤ 3・38)

お釈迦さまだけでなく臣下のものも、大変に優遇されていたようです。シャカ族は小さな国でしたが、国土がとても富んでいたといわれています。また富んでいたとはいえ、奴僕などに施しを与える父王も慈悲深かったということでしょう。このように出家前のお釈迦さまは、物質的・経済的には何一つ不自由のない贅沢な暮しをしていたようです。

悩める日々
このように王子として大変優雅な生活を送っていたお釈迦さまでしたが、しだいに「人生」というものに思い悩む苦悩の日々に変わっていきます。

わたくしはこのように裕福で、このようにきわめて優しく柔軟であったけれども、このような思いがおこった(中略)・・・愚かな凡夫は自分が死ぬものであって、また死を免れないのに、他人が死んだのを見ると、考え込んで、悩み、恥じ、嫌悪しているー自分のことを見過ごして。じつはわれもまた死ぬものであって、死を免れないのに、他人が死んだのを見ては、考え込んで、悩み、恥じ、嫌悪するであろう。このことは自分にはふさわしくないと思って。わたくしがこのように考察したとき、生存時における生存の意気(生きていくという驕り)はまったく消え失せてしまった。
(アングッタラ・ニカーヤ3・38)

お釈迦さまはこのように人間の根本的な苦である、「病」、「老い」、「死」について悩むようになります。(「病」「老い」の二つの苦について経典では(中略)部分に記載されている)
王子様として大変優雅な生活を送っていたお釈迦さまがその生活に満足せず、人間だれもが持つ「病」、「老い」、「死」という根本的な苦について思い悩んだところが興味深いところです。

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霊鷲山(りょうじゅせん) ギッジャクータ
お釈迦さまがよく説法をした場所。頂上が鷲に似ているのでこう呼ばれている

 

現在の世の中では、殆どの人々がお釈迦さまが満足しなかった経済的な豊かさ、物質的な豊かさを求めて生きております。お金や物を中心に考える世の中になっています。そしてハイテク技術の進歩などにより、物質的には豊かになっていますが、こころの面ではあまり豊かさを感じられないのが現状であります。
日本でも他国にはないくらい平和で自由でかつ物質的には豊かな国でありますが、自殺率のもっとも高い国のひとつでもあるのが現状です。
こうした中で、お釈迦さまが追及して到達した精神的豊かさの世界について学んでいくことはとても重要なことだと思いますし、今後においても益々重要になっていくような気がしております。
人間は必ず死ぬということは理解していても、ほとんどの人は自分の死については考えようとしません。「嫌なことだ」、「考えたくない」といってこの問題から避けようとします。
そして諸行無常の世の中にいて、「自分は変わらない」という前提でものごとを考えます。自分は病気にならない・なりたくない、自分はまだ若い・若いままでいたい、あるいは自分は幸せであり続けなければならないなどと。誰にも必ず訪れる老いや病、死については殆ど考えずに生きているのです。
お釈迦さまの場合は、多くの人が見過ごしている「なぜ人間は生まれるのか」、「なぜ人間は病気になるのか」、「なぜ人間に老いがあるのか」、「なぜ人間は死んでいくのか」という人間の根本的な苦を真正面から真剣に受け止め、悩み、そしてこの悩みを解決しようとしたのです。
多くの人が求めている優雅な暮らしや、将来の身分を約束されていたお釈迦さまが、そこに案楽や幸せを感じることが出来ず、その身分を捨ててこの問題に取り組もうとしたのです。
「世の中に偶然はない、すべては必然」とよく言われますが、お釈迦さまが王子様として生まれたのも私には偶然ではないように思えます。
父親は国王を継がせるために出家はさせまいとヤショーダラという女性と結婚させました。しかしお釈迦さまはその妻と、ラーフラという息子(後にお釈迦さまの十大弟子の一人となる)を捨ててお城を出る決意をします。

お釈迦さまの出家

そして29歳の時チャンナという奴僕に命じて、夜中に白馬を中庭に引いて来させ、それに乗ってひそかに出かけ、城門を出た後で髪を剃り、袈裟衣を着たと言われております。顔じゅう涙でくしゃくしゃにした父母の反対を押し切って出家したことも後に弟子たちに語っています。
出家したお釈迦さまは、当時有名であったアーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタという仙人のもとを訪ねます。
当時のインドでは家族を捨てて出家し、修行を積む生活を送る人も多かったようです。この二人の仙人はそのなかでも当時名声を馳せていた人物であったようです。
アーラーラ・カーラーマ仙人は瞑想により我を無くし、心を静めることにより達する無の境地を説かれたそうです。カーラーマ仙人より教えを受けたお釈迦さまは瞑想し、努力を重ね、そして速やかにその境地を仙人と同じ程度にまで高めました。カーラーマ仙人は驚いてお釈迦さまに、この地に残り自分の跡を継いでもらえないかと願ったそうです。
しかしお釈迦さまはまだ自分の課題である人間の根本的な苦の解決、涅槃の境地に達していないとしてカーラーマ仙人のもとを去っていきました。

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現在の釈迦族の子供たち

またウッダカ・ラーマプッタ仙人は自分の持つ瞑想の境地を説かれたそうですが、お釈迦さまはやはりすぐにこの仙人の境地に到達しました。ウッダカ仙人はこのとき師という立場でありながら、逆に弟子であるお釈迦さまを師の位置に据えて、大げさに尊敬供養したそうです。しかしお釈迦さまはここでもまた同じように、この教えでは悟りは開けないとして去っていきました。
この話から修行者としての、お釈迦さまの素質の豊かさがうかがえます。また二人の仙人の思想もいくらかは、お釈迦さまに影響を与えているのではないかと思われますが、その具体的な内容は現在でも明らかになっていないそうです。

苦行

二人の仙人のもとを去ったお釈迦さまは一人修行の旅に出ます。修行といっても、当時インドでは修行とは苦行をすることだと考えられていました。(今でもそういう考えがありますが)
片足でずっと立っていたり、立ったままで暮らしたり、草や牛糞を食べて暮らしたり、火の上を歩いたりと、様々な苦行があるそうですが、中心は断食であったそうです。
お釈迦さまは想像を絶するほどの厳しい修行を6年間続けたそうです。お釈迦さまの苦行する姿を表している「釈迦苦行像」は、その苦行のすさまじさを物語っております。眼は落ち込み、血管が走り瘦せ衰え、腕は枯れ枝のようになって坐禅しております。パキスタンのラホール博物館にある苦行像が特に有名ですが、二世紀頃のガンダーラの作品だそうです。
また修行の途中でコンダンニャをはじめとする5人の修行者たちとブッダガヤで出会います。コンダンニャはお釈迦さまが生まれたときにお城に招かれた八人の占い師の中の最年少のバラモンであり「太子は仏陀になる」と予言した人であると言われております。
彼らはお釈迦さまの修行の真剣さに魅かれ、ともに修行を行うようになります。そして、お釈迦さまの苦行が激しさを加えるにつれて、「かれはいまに悟りを開くだろう」と大いに期待をいだくようになっていきます。
しかしその後お釈迦さまは苦行をきっぱりと捨てることとなります。

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6年間苦行を行ったが、それはまるで空中に結び目を作るような徒労の歳月であった。かれは「この苦行は悟りに至る道ではない」と考え通常の食物をとるために、村や町で托鉢して食物を得た。すると、かれには、偉大な人物のもつ三二の特相がもとのとおりに現れ、身体は金色になった。
「ニダーナカター」

ここがお釈迦さまの決断力の凄さだと思います。当時「人の価値は生まれにより決まる」としたバラモン教に対抗していたジャイナ経の世界では、「人の価値は生まれではなく努力により決まる」としていました。そしてその努力とは苦行を意味していました。
ふつうの人であれば「せっかく6年間もここまで頑張ってきたのだから」とか「私のレベルが一番高いし皆も期待しているから」、「出家した者は皆昔からこうして苦行してるんだから」と苦行を続けていたと思います。
しかしお釈迦さまは命がけで苦行をした結果「身を苦しめることでは、悟りは開けない」と判断すると、苦行をあっさりと捨ててしまいます。そこには何のこだわりもありません。目的達成のみを考えた行動です。
お釈迦さまはセーナーニ村のスジャータという娘の捧げた乳粥を食べ、ガンジス河中流の南方にあるウルベーラという村(後にブッダガヤー、現在はボードガヤー)で修行することとなります。
コンダンニャたち五人はこのお釈迦さまの行為を見て、「お釈迦さまは苦行を放棄した」と見限り、一〇〇キロほど離れたサルナートの地に向かいました。

成道
再び一人になり、そして精気を取り戻したお釈迦様は、一本の菩提樹の根元で瞑想を始めました。菩提樹とはインド原産のクワ科イチジク属の常緑樹で高さは30メートルにもなるそうです。

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そしてこのとき、ついに悟りを開かれました。35歳、修行を始めて6年目でありました。完全なる悟りであったそうです。
出家して二人の仙人の境地にすぐ到達し、その後も激しい苦行を続け、最後にはその苦行を捨てて、瞑想により悟りを開いたのでした。

わが心の解脱は不動である。これが最後の生である。もはや再生することはない。
(サンユッタ・ニカーヤ 6)

つまりこの悟りにより輪廻(生まれ変わり)から解脱して、もう生まれ変わることはない。よって苦も消滅するということです。

悟りの直後と思われる言葉がダンマパダにあります

「私という生を誰が作ったのか。過去生から探し求めてきた。しかし今こそ生という存在を作る大工さん、あなたをみつけた。もう二度とあなたは私に生を作れません。材料(再生する因果)は全部壊しました。心は渇愛のない状態に達しました」
(ダンマパダ 153、154)

このお言葉からすると、お釈迦さまは前世からずっと悟りを探し求めて生きてきたということになっています。また渇愛(欲に執着すること)を全て捨て去ることにより、再び生をもたらす因果がなくなり、輪廻から解脱することが出来るということです。
「あなたをみつけた」と人格化していますが、何かを見たのでしょうか、見つけたのでしょうか。
いずれにしても、ずっとずっと探し求めていたことに答えがみつかった感動は、表現出来るようなものではなかったと思われます。
しかしこのとき、一般の人々には自分の悟りを説明してもわかってもらえないと言われております。

そのときひとり隠れて静かに瞑想にふけっていたが、心のうちにこのような考えが起こった。
私の悟ったこの真理は深遠で、見難く、難解であり、しずまり、絶妙であり、思考の域を超え、微妙であり、賢者のみよく知るところである。ところがこの世の人々は執着のこだわりを楽しみ、執着のこだわりに耽り、執着のこだわりを嬉しがっている。・・・人々には、これを条件としてかれがあること、すなわち縁起という道理は見がたい。また、すべての形成作用のしずまること、すべての執着を捨て去ること、妄執の消滅、貪欲を離れること、止滅、やすらぎ(涅槃の境地)というこの道理もまた見がたい。だから、わたしが教えを説いたとしても、もしも他の人々がわたしのいうことを理解してくれなければ、わたしには疲労があるだけだ。わたしには憂慮があるだけだ」

(サンユッタ・ニカーヤ「梵天に関する集成」「懇請」1‐2~3)

ものごとに執着したり、貪欲になったり、妄執(邪念)によって心を汚されている人には、とうてい自分の教えを説明しても理解してもらえないとはどういうことでしょうか。
「大工さん、あなたをみつけた」とは、お釈迦さまは宇宙の意思のようなものと一体になったのだと私は思っています。宇宙の意思とは宇宙を司る偉大なものです。我々には見ることは出来ない「サムシング・グレイト」なるものです。
この宇宙の意思の向かう方向は、宇宙の歴史や地球の歴史、人類の歴史をみてみると「全体を良い方向に向かって進化・発展させる」という方向です。
お釈迦さまの時代にはダーウィンの進化論はまだありませんでしたが、アメーバのような生き物から進化に進化を重ねて人間になってきているのです。驚異的な人間の脳の構造などをみても「アメーバから偶然が重なって」などと説明できるようなものではありません。
宇宙には宇宙全体を進化に向けて進める大きなエネルギーがあるのです。「自分が良ければ」という人間各個人の損得勘定や欲望、不満などとは全く逆方向です。
だから自分に執着したり、貪欲になったりしている人にはこの偉大なエネルギーを得ることが出来ないし、触れることも出来ないし、お釈迦さまの教えも真に理解出来ないということなのです。しかし言い方を変えれば、自己への執着や欲望から離れ、宇宙の意思と同じ方向に向かおうとする人には理解することが出来るということにもなります。
また人類全体や社会に貢献しようとする意思や行動もこの宇宙のエネルギーを得られることになるのです。
お釈迦さまは悟りを開いたあと、伝えようと説明しても理解してもらえないし、もうことまま死を迎えても良いと思いました。
しかしこの時ヒンドゥー教の創造主ブラフマー(梵天)があらわあれ
「尊い方よ、世尊は教えを説いて下さい。幸福な人は教えを説いて下さい。この世には、心の眼の汚れの少ない類の人々がおります。教えを聞いていないので退歩していますが、聞けば教えを了解する人々はありましょう」
(前掲書「懇請」1-2二-6)

と三度懇請されたため、お釈迦さまはその後布教の旅へと出る決意をしたのでした。
仏教では創造主としての絶対的な神は存在しませんが、人間よりも優れた、目には見えないけれども不思議な力を持っている神々というものはよく出てきます。
梵天はこれらの神々の長で、仏法を守護する神とされています。この梵天の懇請をうけてお釈迦さまは教えを説く決意をします。
そして80歳で亡くなるまで布教を続けることとなりました。こうしてお釈迦さまの教えは仏教として全世界に広まり、やがて日本にも伝わってくることになるのです。これ以上にありがたいことはありません。
そしてお釈迦さまは当時インドのカースト社会では軽視されていた人々にも積極的に教えを説いたそうです。当時早朝の便所掃除の仕事しか与えられない人々に教えを説くために、まだ暗いうちから旅をしていたという記録も残っています。

なにを頼りとするか
お釈迦さまの遺言に近い言葉として
「自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」
(大パリニッバーナ教2-26)

というものがあります。

自らをしっかりと保って、自らを頼りとしなさい。他人を頼りとせず、お釈迦さまの説いた永遠の宇宙真理(法)を頼りとしなさい。真理でないものを頼りにしてはなりませんという意味です。
他人を頼りにできたとしても、自分がしっかりとしなければ、永遠に他人を頼りとし続けなければなりません。これは不可能なことです。自分がしっかりとしさえすれば、他人に頼る必要もなくなります。
結局は無常なる世の中で自分をしっかりと保ち、そして自ら変化に対応して変わっていかなければなららいのです。
しかし変化を嫌がるのもまた人間なのです。自分を顧みず、他人ばかりをみては、他人を責めたり評価します。「あの人が○○しないから」とか「あの人が△△したから」という考えになります。
そうではなく「自分は何をすべきか」、「自分はまだ何をしていないのか」だけを考えれば良いのです。人がどうであれ、自分のすべきことをしていくべきなのです。お釈迦さまの説く真理と、自分を頼りに生きてゆけば良いのです。
ダンマパダにも次のような言葉があります

「他人の過ちや、したこと、しなかったことなど観る必要はない。ただひたすら、自分が何をしたのか、何をしてないのかだけを想うべきだ」
(ダンマパダ50)

 この教えの通り自分の行うべきことのみを考え実践していけば、怒りもなくなり、不満や愚痴もなくなります。そしてひたすら世の中の進歩や他人の幸せ、そして自分を高めることにこころは向かっていくことになります。

入滅
お釈迦さまの最後の様子は「大パリニッバーナ教」という経典に詳しく書かれています。クシナーラー(現在のクシナガラ)で亡くなられたとされております。
チュンダという金属細工人が差し出した食事が原因で病気になったという説もありますが、これは定かではないようです。

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当時は偉大なる精神的指導者である釈迦さまから教えをもらうために
供養(食事を施す)などしていたようです。

最後の席で 「頭を北に向けて床を用意してくれ。アーナンダよ。わたしは疲れた。横になりたい」と言われアーナンダが北に向けて床を敷き、お釈迦さまは右脇を下につけ、足の上に足を重ねた格好でお休みになります。
(大パリニッバーナ経5-1)

アーナンダというのはお釈迦さまの従兄であり、いつもお釈迦さまの傍にいてお世話をしていた人です。お釈迦さまの説法をいつも聞いていたので「多聞第一」と言われ十大弟子の一人です。
お釈迦さまの入滅の姿は「涅槃図」とか「涅槃像」などで表わされていますが、みなこのお経の通りの姿になっています。人が亡くなると北枕にするのもこの経典によるものです。
ちなみに右脇を下につけて寝るのは、心臓に負担もかからず良い寝方だそうです。

そしていよいよ臨終という席に、まだ入門して弟子になりたいとやってきたスバッタという遍歴行者にこういいます

スバッダよ。私は二九歳で、何かしら善を求めて出家した。スバッダよ。私は出家してから五十余年となった。正理(しょうり)と法の領域のみを歩んできた。これ以外に道なるものは存在しない。
(大パリニッバーナ経五-二七)

お釈迦さまが自らの人生を回想したものでもあります。
私は二九歳でほんとうの生き方というものを求めて出家した。出家して五十年余りたった。(このとき八十歳であったといわれています)正しい道理と人間の依るべき道筋のみを歩んできた。これ以外に道はない。
人間のほんとうの生きる道を追求し、発見し、そして実践したお釈迦さまの生涯だったということです。
そしてこのときはスバッタへの言葉ですが、後世に生きる我々にも「私のみつけた人間としての正しい生きる道を実践しなさい。これ以外に人の生きる道はありません」という戒めの言葉でもあります。
お釈迦さまはこう言って、多くの弟子たちに見守られるなかで、安らかに息を引き取ったそうです。

二.お釈迦さまの教えについて
  「苦」と「どう生きるか」について

「苦」とは
仏教という宗教の最も大きな特徴は絶対的な創造主や崇拝すべき対象がないことです。「○○は絶対です。信じなさい。」「良き世界へ行くために○○しなさい」などといったことは一切ありません。お釈迦さまは自分を崇拝しなさいとも一度も言われておりません。ただ悟った宇宙の真理、人生の真理について説かれているだけです。
そしてお釈迦さまは「自分の見つけた真理を理解し、そして実践しなさい」と言われておりますので、その真理を理解し、実践していくことは仏教徒としての務めでもあります。
そこで今度はお釈迦さまが出家するきっかけとなった「苦」と「どう生きるか」ということについて考えたいと思います。

お釈迦さまは、「どうして人間は苦しんで生きているんだろう。どうして死や病気や老いがあるんだろう」と悩みました。そして修行の末に悟りを開きその問題を克服しましたが、その時「執着したり、貪欲な妄執に心を汚されている世間の人々には説明しても理解してもらえないだろう」と言っています。
ダンマパダのなかに次の一節があります

一切は苦であると知恵をもって知ったなら、それによって人は一切の苦を乗り越える。これが清らかな道である。
(ダンマパダ278)

ここで「苦」と訳されている単語はパーリ語原典では「dukkha」(ドゥッカ)というそうです。この言葉には「嫌悪・苦」という意味と、「空虚・無意味」という二つの意味があるそうです。

 

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初転法輪(しょてんぽうりん)の地 お釈迦様の初説法の地とされるサールナート

そして日本で一般的に「苦」と訳されていますが、「空虚」という意味合いがのほうが強い場合が多いそうです。大乗仏教の四宝印の一つである「一切皆苦」も「一切は苦である」というよりもむしろ「一切は空しい」ということになります。

人間は幸福を求めて生きています。成功を求めて生きています。そして多くの人が財産を得たり、地位や名声を得たりすることを求めて生きています。
事業で大成功して億万長者になるのと、ホームレスになって賞味期限の切れた弁当を貰って食べる生活になるのとどちらが幸せでしょうか。おそらくほぼ全員の人が前者の方が幸せだと言うでしょう。
しかしお釈迦さまに同じことを聞いたならば「どちらも空しい」という答えになるのです。なぜなら人間最後には「死」という苦しみ・空しさに必ず出会うからです。財産を築こうが失おうが、高い地位を得ようが得まいが、必ず最後に「死」という現実がやってくるのです。どういう人生を歩んでも、結局みんな最後は死ぬんだから空しいのだよということです。
お釈迦さまがここで言われる「苦」とは、事業に失敗したとか、誰かに裏切られたとか、恋人にふられたとかそういう類の小さなものではないのです。どんなに成功しようが、失敗してしまおうが、生き物には例外なく「死」という空しさが来るんだから、そんなのはどうってことのない小さなことなんだよということです。世の中は全てが無常だから、成功も失敗も、苦しみも幸せも脆いもので、全ては消え去っていき、そして最後には空しさが訪れてくるのです。

苦の本質とは
その空しい人生に価値を持たそうとするから「苦」が訪れるのです。自分に価値を持たせると、「なんで自分がこんな目に」という苦しい感情が生じてきます。自分の子供に価値を持たせると「なんでうちの子が」となります。大切なもの、愛するもの好きなもの、価値あるものと思えば、それが失われたとき「苦」が生じるし、「失いたくない」という執着心や「失うのではないか」という心配する「苦」も生じてきます。しかし諸行無常の世の中、永遠に存在するもの、変化しないものは絶対にあり得ないのです。
「我に子(こ)等(ら)あり我に財産(たから)あり」と
愚かなる者は こころ悩む
されど 我はすでに我のものにあらず
何ぞ子等あらん
何ぞ財産あらん
(ダンマパダ 62)

愛より 憂いは生じ
愛より 不安(おそれ)は生ぜん
愛を超えし人こそ 憂いなし
かくて いずこにか 不安あらん
(ダンマパダ 212)

一切の現象は無常であると
知恵によって知るならば
苦(生きること)を諦める
これが清浄(解脱)への道である

すべての現象は苦であると
知恵によって知るならば
苦(生きること)を諦める
これが清浄(解脱)への道である
(ダンマパダ 277・278)

「いつまでも若くありたい」、「美しくありたい」と思っても、全てのものは瞬間瞬間に絶えず変化し続けているのです。お釈迦さまの悟った真理は「存在=無常」なのです。あるのは「因果」だけなのです。全ての存在は「因」と「縁」によってたまたま今あるだけなのです。そして全てのものは絶えず変り続けているのです。
花だって種を捲くという因と、水や光や栄養分という縁があり、今花が咲いているだけなのです。絶えず枯れて行ったり、次の花へ向けて変化しているのです。海だって隆起して山にもなりますし、川も永遠に流れるものではないのです。
「存在=ある」のではなく、「存在=流れ」として認識するのが正しいのです。「私」が存在するのではなく、因と縁によってたまたま「私」が今存在しているだけなのです。地球だって宇宙だって永遠ではないことは現在の科学でも証明されているのですから。
だから私や存在というものに変わらずにあってほしいという想いを抱くと苦しみが生じるのです。
一切は空しいもの、価値のないものだということを受け入れて、智慧の眼でこの世を観てみましょう。そうすると苦しみや悲しみ、憎しみ、嫉妬、欲の心がなくなっていきます。苦の本質は自分にとって価値あるものや好きなものが思い通りにならないということから起こるからです。
お釈迦さまも病気になったとき、とても痛かったと言われています。でもそれは体が痛かっただけです。何でこんな病気にならなければならないとか、ああ苦しいと周りの人に不満を言ったり、悩んだり落ち込んだりすることはありません。ただ痛かっただけなのです。

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悟りの地 ボードガヤー(ブッダガヤ)の大塔

事業で失敗してもそうです。またやり直せば良いだけです。財産を失うのは辛いことでしょう。でもそのことで落ち込んだり、悩んだり、心まで病んでしまう必要は全くないのです。現状をそのまま受け入れたらよいのです。そして自分が今すべきこと、今出来ることをやっていけば良いだけのことなのです。
以前県外で事業に失敗して自己破産せざるを得ないご夫婦にお会いしたことがありました。先ず現状を受け入れなければと言ったのですが、ご主人が「自分はプライドが高い人間だ。破産など出来ない。今後単純労働なども出来ない。自分のしたことに間違いはなかったはずだ。人の世話にもなれない」など様々な想いを持つ故に、余分な悩みや苦しみをたくさん抱えているようでした。
いろいろ話をしてその二~三日後奥さんから電話があり、「一緒に自己破産することにしました」ということでした。私が「どうですか?」とお聞きしたら、「今まで気付かなかった人の温かさに気づくようになりました。今後苦労もあるでしょうが、財産を失っただけだからと思うことにしました。主人と一緒にまたやり直していきます」とのことでした。
それ以上はお聞きしませんでしたが、これまで執着したものを捨てたからこそ、人の温かさにも触れることが出来たのだと思いました。
特に人生の試練や逆境に遭遇したときほど「自分の死という場面では、こんなこと全然関係ないことだ」という知恵の眼でものごとを観ることが肝要です。どうせ死んでいくんだという知恵の眼で今の現実を見直すと、「なんでこんなことで悩んだりしてるんだ」と楽な気持ちでいれるのです。
過去を悔んでも過去にはもどれません。未来を心配しても今を通して未来は変わっていくのです。結局「今」、「自分」が出来ることをしていくしかないのです。

空しい人生は楽しくないのか?
一切が空しいものであるのなら、人生は楽しくないのでしょうか。どうせ空しいのであれば、何の努力もする必要ないのでしょうか、人生投げやりで良いのでしょうか。
それは全く違うのです。「私は必ず死にます」という事実を先ず受け止めます。そして必ず死ぬのだから、どうせなら穏やかな心で生きていましょう、こころ豊かに生きていきましょうというのがお釈迦さまの生き方なのです。
最後は必ず死という空しさが訪れるのだから俗世間のつまらない欲望や感情、嫉妬心、不安感や絶望感に捉われて苦しむ必要はありませんよということなのです。「苦」の本質は思い通りにならないということなのだから、思い通りにしたいという執着から離れて生きましょうということなのです。
投げやりになるというのは、まず期待や欲望があり、それが得られないので苦しんだ末にあきらめて新たな行動を起こさない状態です。こころは苦しいままです。また出来れば楽をしたいという自分への執着もあります。お釈迦さまの言う空しさとは全く別の世界です。
期待や欲望を持たなければ、無常な世の中でも心は穏やかでいられます。そして人生が短いのであればその短い間、穏やかな心で人と仲良く助け合い、楽しく過ごしましょうということです。

お釈迦さまは堕落行為は一切認めておりません。
常に精進して生きよと言っております

精進(はげみ)こそ不死の道 放逸(おこたり)こそは死の道なり
いそしみはげむ者は 死することなく
放逸(おこたり)にふける者は 命ありとも 
すでに死せるにひとし
明らかにこの理(ことわり)を知りて 
いそしみはげむ賢き人らは
精進(はげみ)のなかに こころは喜び
聖者(ひじり)の心境(さかい)にこころはたのしむ
(ダンマパダ 21、22)

与えられた現状を執着することなくそのまま受け入れ、そして与えられた今をひたすら精進して生きることに喜びや、楽しみを感じましょうということです。
「足ることを知ることが、一番の富である」とダンマパダにもあります。満足をすることが、一番の富を得ることであるということです。仏教で知(ち)足(そく)といわれている真理です。それでは究極の知足とは何なのでしょうか? 
それは今の自分の置かれている現状を全て受け入れることなのです。年齢や容姿、職業、財産、家族、健康状態など全てです。そして過去にあったことも全て受け入れるのです。
そして全てを受け入れたうえで、何のこだわりをもつことなく、ただひたすら「今」、「自分が」出来ることにはげんでいきましょう、そこに喜びを見出しましょうというのがお釈迦さまのいう生き方なのです。

誓願
さきほど期待や欲望があると、心は穏やかではないといいましたが、ここは誤解されるといけないので説明しますと、「欲=煩悩=滅すべき悪いもの」ではないのです。
欲は人間の行動エネルギーにもなるものです。全ての欲を奪い去れば、生きるエネルギーも無くなってしまします。したがって欲はその向かう方向が問題なのです。
私の満足に向かう欲は煩悩であり、いづれは苦や自滅に向かって行ってしまうものです。
しかし向かう方向を変えて、世の中のために、人類のために、他人のために、あるいは自分自身の成長や精進という方向に向かわせればよいのです。これは煩悩という欲ではありません。
仏教ではこれを誓願(せいがん)といいます。いわば宇宙の意思に沿った欲です。誓願をたてて実践し、人から喜んでもらえる存在になる、そして自分自身も成長していくことです。つまり自らが生きたままで仏さまのような存在になるという人生最大の目的であり本願なのです。
人はみな自分の死を嫌います。これは自分への執着もありますが、「まだまだ仏さまのような存在になれていない。まだまだ自分は成長していない。このままで人生終わりたくない」という思いが心の奥底にあるのだそうです。
自分にとって最もふさわしい誓願をたてて生きてゆきたいものです。そして最後に「もうやり残したことはない」とお釈迦さまのような穏やかなこころで最後を迎えたいものです。
誓願を立てると、誓願力(せいがんりき)という宇宙法則が働いて凄いパワーが生まれます。ビジネスでも学問でも同じです。
「こういうビジネスをして社会に貢献していきたい」としっかりとした理念を持つのと、「これは儲かりそう」とか「生活のため働かんと仕方がない」という思いで事業をするのでは結果は明らかに違います。

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修行時代の私 三原の仏通寺にて(43歳)

「将来こういう人間になって世の中の役に立ちたいから学問をする」というのと、「良い大学に入って良い生活をしたい」、「この資格を取って楽に暮らしたい」と我欲に向かって学問をするのとでも結果は全く違います。誓願力が働いてパワーが全く違ってきます。
自分の誓願を具体的にイメージしていきましょう。そうすれば誓願力が出てきます。そして誓願をもって行動していれば本人も、見ている周りの人も気持ちが良くなります。
誓願をたてて日々楽しく精進していく、これが仏教でいう「生き方」です。自分にとって価値ある目標を予め設定し、段階を追って実現していけばよいのです。最初から大きな目標を設定する必要はありません。
成功とは到着点ではなく、旅路のようなものなのです。しっかりとした誓願を立てて人生の旅路を歩んでゆきましょう。
お釈迦さまは因果の法則についても述べています。「善因善果 悪因悪果」つまり、良いことを行うと必ず良いことがある。悪いことを行うと必ず悪い結果が起こるということです。これは間違いのないことです。ということは誓願を立てて良い因や縁をつくっていくことは、良い結果をもたらすことにもなります。
しかし自分の行ったことに対する結果は気にしなくてもよいのです。何故なら人間は因果律を全て把握しきることは出来ないからです。今のこの良い行いの結果がいつ出るのか、それは人間にはわからないのです。生きている間ではなく、来世で表れるのかも知れません。分らないかもしれない結果を気にしていては時間の無駄になります。江戸時代の名僧白隠禅師は「因果(いんが)一如(いちにょ)」と言われました。これは原因と結果は同じくここにあるということです。いまのこの行いから結果も得てしまえということです。
いま得ることの出来る結果とは何か?それは「いまを楽しむ」ということです。何事も楽しんで行えば良いのです。
誓願をたてることにより善い行いを実践し、人に喜んでもらい、世の中の役に立つ。そして心清らかになり、成長していく自分に喜びを感じる。それで十分なのです。

善きことをなす者は 
今に喜び 後に喜び
二つながらに喜ぶ。
「善きことを我はなせり」と
かく思いてよろこぶ
かくて幸ある行路(みち)を歩めば
いよいよこころ楽しむなり
(ダンマパダ 18)

「楽しいことをする」のではなく、「することを楽しむ」のです。そうすると同時に果報も得ることが出来ます。自分の立てた誓願に向かって行動していくことに喜びを感じてください。人に喜ばれたり、世の中のお役に立てることに大いに喜びを感じてください。
仕事だって遊びだって何だって楽しんでおこなえばよいのです。行いをする自分をじっくりと味わって、そこに楽しさや喜びを感じればよいのです。
「人生は空しい」という事実を受け入れることにより、執着や不安や不満を消し去りましょう。そして生涯にわたって決して色あせたり薄れたりすることのない「誓願」を心の奥底にしっかりと刻みましょう。
自分の置かれている現状を全て受け入れ、与えられた今をじっくりと味わいながら、そして楽しみながら精進していきましょう。これがお釈迦さまの説く「生き方」なのです。
人生の最後に「善い想いを保ち、そして実践してきた人生であった。十分に修行はなされた。もうやり残したことはない」と言いたいですね。

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おわり

 

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